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東京地方裁判所 昭和36年(ワ)8044号 判決

原告 岡田正雄 外一名

被告 国

訴訟代理人 岸野祥一 外三名

主文

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用はこれを三分し、その一を被告の、その余を原告らの負担とする。

事  実 〈省略〉

理由

一、岡田栄に対する治療行為および同人の死亡について。

当事者間に争いなき事実、(証拠省略)によれば、次の事実が認められる。すなわち訴外岡田栄(おかだしげる、昭和八年五月一二日生、女性)は、昭和三一年頃から左顎下側頚部に腫瘤(その診断結果は、国立松山病院および岡山大学附属病院では側頚部嚢腫、九州大学附属病院では左下顎下部寒性膿瘍の疑い、野本病院では左側頚部感染性嚢腫であつた)を生じ、昭和三二年一一月一二日以来愛媛県松山市堀之内所在の国立松山病院に通院して、別紙「岡田栄に対する国立松山病院医師の診察および治療」表記載のとおりの治療を受けていたが、昭和三四年一〇月五日頃より患部からの穿刺液中に黄色の梱濁がみられ、同月一四日には穿刺液中に膿がみとめられ患部に圧痛が生じ、同日ペニシリンゾル六〇万単位と同結晶一〇万単位の注射が行われたが、翌々日の一六日になつても腫瘤は鶏卵大のままでこんどは患部の疼痛が生じてきたし、その翌日の一七日には腫瘤の大きさは変らないものの、疼痛が激しく栄から夜も眠れないとの訴えがあつて患部に熱感があり、穿刺液は濃い褐色で粘性があり、液中に血液が認められる状態となつたので、同日午前の外来患者担当医であつた同病院外科医師本吉正晴は患部に細菌による混合感染が起つているのは確実であり、一四日のペニシリン注射では効果のない細菌があるかもしれないと考えてペニシリンとストレプトマイシンの混合製剤であるマイシリン四〇万単位を注射することにし、伝票によつてその旨を同病院中央措置室の看護婦に指示したところ、同室担当の同病院看護婦木下ヒロ子は、右の指示どおりマイシリン四〇万単位を栄の臀筋内に注射した。以上の事実が認められ、この認定を左右すべき証拠はない

しかして(証拠省略)によれば、栄は右注射を受けてから松山市大可賀町八〇七番地の原告神野方に帰宅した後、一七日午後零時半頃急死したことを認めることができる。

二、死亡原因について

弁論の趣旨(原告提出の帰宅経路図面)、(証拠省略)によれば、死亡に至るまでの栄の症状は次のとおりであつたことが認められる。すなわち同人は病院を退出してから最寄の駅である伊与鉄道高浜線古町駅迄歩き、同駅から同線の山西線駅迄電車に乗車したのであるが、乗車する迄は身体に異常を覚えることもなかつたのに、車中で全身に異常を感じたこと。しかしながら同人は苦痛に堪えて山西駅で下車し、同駅附近で暫らく休み異常感がやわらぐのを待つてから、再び徒歩で原告神野宅に向い帰途についたところ、その途中の三本柳橋と神野宅の間で梅田花子に会い同人の自転車に乗せて貰つて帰宅したこと。その後は横臥して安静にしていたが次第に顔面が紅潮してきて咽喉に異常感を覚えるようになり、さらに顔面の紅潮が極度になるとともに胸内苦悶、呼吸困難症状を訴え、次いで全身の紅斑様発赤から急速にチアノーゼに移行し、窒息と思われる症状で死亡するに至つたこと。以上の事実を認めることができる。

ところで右に認定したような症状を呈しながら急死した場合に、その死亡原因を探る上で一応考えられるものとしては、(証拠省略)によれば、(イ)マイシリン過敏性シヨツク、(ロ)急性心臓死、(ハ)蜘蛛膜下出血、および(ニ)炎症性頚部嚢腫ないしは蜂か織炎により神経が侵され、自律神経が急速に不調和になることによつて心臓停止に至ること、の四の原因をあげることができるものと認められる。しかしながら本件の場合栄を継続的に診察していた(証拠省略)によれば、栄には別段心臓および呼吸器系統に異常があるとは認められなかつたというのであり、この事実に(証拠省略)を参考にして判断すると(ロ)の急性心臓死の可能性はかなり低いものと考えられる。そして(証拠省略)によると、(ハ)の蜘蛛膜下出血という原因も、単にその可能性を全く否定しさることはできないという程度にとどまり、また(ニ)の炎症性頚部嚢腫ないしは蜂か織炎による急性死にしても(証拠省略)によれば、栄の頚部腫瘤の病状はさほどに重篤となつていたものとは認められなかつたと考えられるので、このような原因による死亡の可能性はかなり低いものと認められる。

これに対し(証拠省略)によるとマイシリンの成分であるペニシリンおよびストレプトマイシンは、稀にその副作用としてシヨツク型過敏反応を起し患者が死亡することもあり、ペニシリンの方は薬剤中ではシヨツク型過敏反応を起す頻度の高い方に属するものであること。そのシヨツク症状は注射後一〇分以内の短時間にあらわれるのが殆んどであるが、三〇分ないし二時間後に発症する遅発型のシヨツク症状もあり、また発症後急速に悪化するのが普通であるが、緩漫に進行することもあること。そして前記の死亡までの栄の症状は、電車中の発症までの時間が通常の場合より少し長くまた右の発症後死亡までの経過が緩漫である点で通常の場合と異なるところがあるが、あらわれた症状はシヨツク型過敏反応と一致しており、右の通常の場合と異なる点もマイシリン・シヨツクと矛盾するものではないこと。以上の事実を認めることができる。

以上検討してきたところによれば、栄の死亡原因として考えうる四個の原因中では、マイシリン注射による可能性が最も高く、従つて栄の死因はマイシリン過敏性シヨツクと推定することができる。鑑定人草間悟の鑑定書には、マイシリン注射によるものとは断定できないとの記載があるが、これは右鑑定書にあるように科学的に厳密な判断は不可能とするものと考えられるので、右の判断とは矛盾するものではない。

三、ペニシリン製剤使用前の注意義務違反の有無。

前掲川上鑑定人作成の鑑定書によれば、マイシリンのようにペニシリンを含む薬品(ペニシリン製剤という)を使用した場合、前述のように稀にその副作用としてシヨツク型過敏反応が起り死亡することもあるので(本件事故が起つた昭和三四年当時の一般医家の間では、ペニシリン製剤を使用する前に、当該患者に著しい循環器系および呼吸器系の疾患があるか否かを知つておき(ただしこの疾患があるからといつてペニシリン製剤使用の禁忌となることは殆んどないと考えられていた、)さらにシヨツク型過敏反応の予知手段を講ずべきであると考えられていたこと。そしてこの予知手段としては、(イ)患者自身のペニシリン製剤による副作用およびアレルギー性疾患の既往歴を問診すること、(ロ)患者の血族の右既往歴を問診すること、および(ハ)皮膚または粘膜反応によるテストが知られていたこと。以上の事実を認めることができる。しかしながら前掲川上鑑定人の鑑定書と鑑定人草間悟の鑑定書とによれば、(ハ)のテストについてはその信頼性があまり高くなかつたので、これを採用すべきか否かについて医学界に反対論があつて採用しない医師があり、また川上鑑定人の鑑定書によれば、採用していた医師の間でも、最初の注射時あるいは一定期間注射を休止した後再開する際にのみテストを行うのが通常で、三日位前の注射で何んら副作用のなかつた場合は、シヨツクの危険性は非常に少ないと一般に考えられていたことが認められるのである。さらに(ロ)の患者の血族の既往歴について問診を行うことについても、(証拠省略)によれば、アレルギー的体質が遺伝することがあることは知られていたが、ペニシリン副作用を起すペニシリン・アレルギーが遺伝することはないと考えられていたので、学問上右の問診を行うべきだと断定することできなかつたことが認められ、前掲川上鑑定人の鑑定書および草間鑑定人の鑑定書によれば、当時の一般医師の間で最も重要視されていたのは、(イ)の患者本人についての問診であつたものと認められる。しかして(証拠省略)によると、「ペニシリン副作用の防止について」と題された昭和三一年八月二八日付厚生省医務局長薬務局長連名の各都道府県知事宛通知においても、ペニシリン製剤使用前の注意事項として、患者本人についての前記の問診をかかげているが、患者の血族についての問診は括弧書にして右と同等の重要性を認めていないのであり、前記のテストについてはこれをなすことを注意事項としてもいないのであつて、このことは前述の一般医師の間での認識とあいまつて、注意義務の内容を判断するにつき参考となるものと考えられる。

ところで(証拠省略)によれば、本吉医師は栄にマイシリン注射をする前に、従前の診察の結果などから栄に循環器系および呼吸器系の異常があるとは認めず、栄についてのカルテ(証拠省略)と同人に対する問診とにより、三日前の一〇月一四日同人がペニシリン注射を受けた際何んら異常がなかつたことを知り、また右の問診で同人が前に野本病院でペニシリン注射を受けた(証拠省略)が、その際にも異常がなかつたことを知り、さらに同人のアレルギー性疾患の既往歴を知るため、「蕁麻疹などもできやせんでしよう」と聞いたところ、そのようなことはないという返事であつたので、三日前のペニシリン注射の際異常がなかつたのであるから、今回はペニシリン皮膚反応テストをする必要がないと考えこれをしないで、前記のマイシリン注射を命じたものであること、以上の事実が認められる。(証拠省略)によると、栄には満五才当時に蕁麻疹らしい病歴があつたことが認められるが、このような幼児期の病歴を前記の問診の際栄が話したとは認められず、また(証拠省略)によると、栄は蚊にさされるとそのあとが普通の人よりも腫れたりしたことがあることが認められるが、前記の問診の際栄がこのことを話したことは認め難く、また(証拠省略)によると、右のような症状がアレルギー性疾患であるかは断定できず、専門医以外アレルギー性疾患であるとの疑いも持たないことが認められるので、問診の結果かかる症状を知つたとしても、本吉医師が栄にアレルギー的体質があると疑うべきだとすることはできない。そして(証拠省略)には、栄には足に水をかけると蕁麻疹が出、アレルギー性鼻炎や偏頭痛などのアレルギー性疾患があり、栄自身もアレルギー的体質であることを知つていたので、本吉医師が問診すれば栄はこれを話したはずだどする供述があるが、栄と同居して生活していたものと認められる母親の原告神野の尋問では、幼児期の蕁麻疹らしきものと蚊による腫れなどの他、別に異常な状症はなかつたと供述しているので、右の原告岡田の供述はにわかに採用し難い。そして本件事故以前に栄にペニシリン注射をした福田医師の証言によると、同医師が問診した際にも、右のような症状の答えはなかつたものとうかがわれるので、前記の認定は左右しえない。そうすると本吉医師は当時の一般医師の間で重要視されていた患者本人のペニシリン製剤使用による副作用の有無およびアレルギー性疾患の既往歴の有無を問診し、それらがないことを確かめたうえで本件のマイシリン注射を命じたのであるから、ペニシリン製剤使用前の重要な注意義務は尽したものと認められ、ペニシリン皮膚反応テストを行う必要がないと考え、これを行わなかつた点も、前述の一般的考えに照らしこれを注意義務違反とすることはできない。

もつとも同医師の証言によると、栄に対する問診では同人の血族についてのペニシリン製剤使用による副作用の有無およびアレルギー性疾患の既往歴に触れなかつたことが認められるところ、(証拠省略)によると、栄の父である原告岡田には、蕁麻疹、偏頭痛、アレルギー性鼻炎などのアレルギー性疾患の既往歴があり、ペニシリン製剤の副作用もあつたことが認められるのであるが、同人の供述する如く栄に対して問診すれば右の原告岡田の既往歴等を知りえたか否かは、いずれとも断定しかねるところがあり、またさきに説示したとおり、患者の血族の既往歴についての問診の価値が低いことと相俟つて、栄に対する問診で同人にペニシリン製剤の副作用やアレルギー性疾患の既往歴がないとの返答を得た以上、さらにすすんでその血族についてまでも問診する必要はないと考えても無理からぬところがあつて、この点でも注意義務違反を認めることはできない。

以上のとおりであるから、ペニシリン製剤使用前の注意義務違反があるという原告らの主張は採用できない。

四、ペニシリン製剤使用上の注意義務違反の有無。

まず、ペニシリン製剤を使用する場合、シヨツク症状が発生した時に備え、あらかじめ応急措置を整えておくべき義務があることは当事者間に争いがないところであるが、(証拠省略)によれば、本件の注射が行われた中央措置室には、応急薬品を他の薬品と区別して備え付けてあり、救護措置の方法については同室勤務の看護婦は勿論全看護婦に訓練されてあつて、これを記した注意書も同室内の眼に付きやすいところに添付されてあり、また同室の向かいの部屋には内科医がいて急な場合にもすぐ呼べるようになつていたことが認められるので、右の義務は尽されていたものと考えられる。

次に前掲川上鑑定人の鑑定書および草間鑑定人の鑑定書によれば、当時の一般医師の間でも、ペニシリン製剤を使用した後は一定時間患者を安静にさせておき、その身体の状況を観察して異常反応の有無に注意し、異常があれば即時前述の救護措置を講ずべきであると考えられていたことが認められるのであるが、右の安静および観察時間については、両鑑定人の意見に差異があり、川上鑑定人は一五分ないし三〇分程度、草間鑑定人はこれより短かく五分ないし一〇分程度としている。しかしながら(証拠省略)によれば、昭和三二年二月発行の「日本医事新報」に発表された国立病院および療養所における調査結果では、ペニシリン製剤投与後シヨツク症状の発症迄の時間は、調査例七六例中五八例すなわち約七六パーセントが一〇分未満の短時間であるが、一〇分以上二〇分未満に起つたものが一〇例約一三パーセントあり、二〇分以上三〇分未満に発症したものになつてはじめて三例約四パーセントと減少していることが認められるのであり、この調査結果が発表された「日本医事新報」が、一般医師を対象としたもので比較的広く読まれていること(証拠省略)、および前述の「ペニシリン製剤による刑作用の防止について」と題された通知(証拠省略)においても、「使用上の注意」として「ペニシリン製剤使用後、一五分ないし三〇分間患者の安静を保つ必要がある」としていること、以上の事実を考えると右の時間は、前記の予知手段を講じた結果などによる医師の判断によつて異なりうるであろうが、右の川上鑑定人の意見および厚生省からの通知にあるように原則的には一五分ないし三〇分程度必要であると考えるのが相当である。なお証人高橋正晴は、右の通知に示された一五分ないし三〇分の期間は、その間患者を観察すべき時間として定めたもので、安静にさせておくべき時間ではないかのように供述するけれども、(証拠省略)によれば、安静にさせておかなければ必らずシヨツク症状が発生するというわけではないが、安静にさせておくことがシヨツク症状発生の予防と、シヨツク症状を軽くすませることになんらかの効果があるのではないかと考えられていることが認められるので、右の証人の供述は採用できない。

しかして右のように患者の安静を保たしめ観察すべき注意義務は、医師が直接ペニシリン製剤の注射を行つた場合と、本件の如く看護婦が医師の指示を受けて注射した場合とで、変りはないものというべきであるから、右の注射を行つた看護婦木下ヒロ子の処置について検討する。同人は、「国立松山病院ではペニシリン製剤を使用した場合一五分間以上患者を安静にさせておくよう指導されているので、その指導どおり栄にもマイシリン注射後一五分間位ベツドの上で休むよう指示した。特に栄は下顎部が痛そうであつたから、痛みがなおるまで休むようにいつたので、十分休んで帰つていつた」と証言するのである。しかしながら(証拠省略)によれば、同証人は本件事故の後警察署で取調べられた際、「栄は頬を押さえながら中央処置室に入つて来た。栄は注射の後休んで帰つたと思うがどの位休んで帰つたか憶えていない。患者が気分がよくなつて帰る場合、五分の人も一〇分の人も、またすぐ帰る人もあるので、そこまで病院としては口やかましくいえないので患者本位に任せている。処置室にある注意書に一五分間様子を見るよう書いてあるが、これはペニシリン・テストの後の処置であつて、ペニシリン注射後の注意事項ではない」と供述したことが認められるのであり、当審で供述を変えた理由についての同証人の証言は首肯し難いので、前記の証言はとうてい信用できず、同人は右警察署での供述にあるように、栄に対してマイシリンを注射した後特別に一定時間安静にしているよう指示せず、栄が任意に休んで帰るのにまかせていたものと認められ、栄が注射後そこで何分間安静にしていたかを確定できる証拠はないが、(証拠省略)の記載から推して一〇分以上安静にしていたとは考えにくい。従つてこの点で前記の注意義務に違反したものと考えざるを得ない。

なお(証拠省略)によれば、国立松山病院では、前記の厚生省からの通知があつた後、全看護婦に対しペニシリン製剤使用上の注意事項を教育し、そのうえで中央措置室にはその注意事項を記載した注意書二枚を添附しておいたことが認められるが右の教育が徹底していなかつたことは前述の木下ヒロ子の警察署での供述でも明らかであり、また右の注意書のうち一枚(証拠省略)にはペニシリン・テスト後だけでなく「(本注射のときも同様)」として、ペニシリン製剤注射後も一五分間患者を観察すべきことが指示してあるが、安静にさせるよう指示した文言はなく、他の一枚(証拠省略)では、右の木下の供述にあるように、一五分間の観察はペニシリン・テスト後に限られるかのように誤読されかねない記載の仕方であつて、とうてい医師の直接の監督下に看護婦をして注射させるのと同等の措置を講じていたものと認めえない。右のような次第でこの点にも注意義務の違反を認めざるを得ないが、この違反の結果は前述の安静および観察についての注意義務違反となつてあらわれたものと考えられるので、以下の検討においてはこの違反を中心において検討することとする。

ところで(証拠省略)によれば、本吉医師は栄にマイシリン注射を指示した際特別に安静および観察時間を指定しなかつたものと認められるので、右の注射の場合の安静および観察時間も中央措直室の看護婦への一般的指示どおり一五分間程度でよいと判断していたものと考えられる。そこで右の判断について検討すると、(証拠省略)によれば、同人らの当時の知識ではペニシリン製剤使用後シヨツク症状発症迄の時間は、殆んどの場合一〇分以内の短時間であると考えていたものと認められ、また前記のとおり栄のように三日前のペニシリン注射の際異常がなかつたときには、シヨツクの危険性は非常に少ないと一般に考えられていたものと認められるのであるから、そのうえに栄に対する問診で同人にアレルギー性疾患がないとの返答を得た本古医師が一五分間程度の安静および観察時間をおけば足りると考えるのも一応無理はないものといわねばならない。しかしながら前記の調査結果のとおりシヨツク症状発症迄の時間が二〇分以上三〇分未満となるとかなり減つてはいるものの、一〇分以上二〇分未満のものが全体の約一三パーセントあり、一〇分未満のものは全体の約七六パーセント程度であつたのであるから、右のようにシヨツク発症の危険性が非常に少ないと考えられた本件の場合であつても、大事をとつて二〇分程度の安静および観察時間をおくべきであつたと考えるのが相当である。

五、注意義務違反と栄の死亡との因果関係について。

そこで右の二〇分程度の安静および観察時間をおいておれば栄に起つたシヨツク症状を発見して救護措置をとりえたか否かにつき判断する。

前記認定のとおり栄がはじめてシヨツク症状に襲われたのは、電車内であつたものと認められるので、同人が乗車したと考えられる電車の時間について検討する。まず(証拠省略)によれば、同人が前述の三本柳橋と原告神野方迄の間の路上で栄が歩いているのを見付け、自転車に乗せて神野宅迄帰宅させた時間は、一七日正午前であつたことが認められ、右の自転車に乗せて帰る迄の時間は約五分間位であつたものと認められる。そして検証の結果によると栄が下車した伊与鉄道高浜線山西駅と右三本柳橋の間は徒歩で八分間かかることが認められるのであるから、同人が山西駅附近で休んでいた時間を考慮に入れなくとも、同人は正午より右の五分および八分を加えた約一三分以前すなわち同一一時四七分以前に、山西駅で下車していたものと考えられる。ところで(証拠省略)によれば、栄が乗車した同線古町駅から山西駅へ向う電車は、古町駅を午前一一時四四分、同二四分、同〇四分および同一〇時四四分に発車したものが山西駅にはそれぞれ一一時五一分、同三一分、同一一分、および一〇時五一分に到着していたものと認められるのであるが、一一時五一分着の電車に乗車していたことは前述の時間の関係から考えられず、また一〇時五一分着の電車についても、下車後の時間があまり長くこれまた可能性が薄いものと考えられるので、結局栄が古町駅で乗車した電車は、同駅発一一時〇四分か同二四分の電車であつたものと認められる。

従つて原告らが主張するように、午前一一時三〇分頃に栄が注射を受けたものとは認められないのであるが、他方で被告主張の午前一〇時三〇分以前に注射したものとも考えられないので、午前一〇時三〇分以降同一一時一五分頃迄に注射したものと仮定して、右の両電車の発車時刻までの時間を計算してみると、〇分以上五四分となる。しかしながら検証の結果によると国立松山病院の当時の玄関から右古町駅迄徒歩での時間は、普通人で八分から一〇分程度、従つて病人の栄の場合は一〇分かかることが認められ、また前述のように木下看護婦は一定時間安静にするよう指示しなかつたものの、栄は一応休んで身なりを整えて帰つたものと認められるし、前記のように二〇分毎に発車していたものと認められる電車に、全く待ち時間なしに乗車できることは稀であろうから、かような特別の場合を除くと結局若干の休息時間、身なりを整えて病院を出るまでの時間、古町駅における待ち時間等で一〇分程度はかかり、これに歩行時間一〇分を加えると、マイシリンの注射を受けてから栄が前記の電車に乗車する迄には、少くとも二〇分位は経過していたものと考えざるを得ない。しかして(証拠省略)によれば、古町駅から山西駅までの乗車時間は七分間であることが認められるので、その車中で発症したものと認められる本件では結局注射時よりシヨツク症状発症迄の時間は短かくても約二〇分、長ければ約四〇分経過していたものと認められる。

そればかりでなく、かりに栄を二〇分間程度病院にとどめておき安静にさせておいたとすれば、右に認定した時間よりも早くシヨツク症状が発生したものとも考えられないので、結局前記の二〇分間程度の安静および観察期間中に栄にマイシリン注射によるシヨツク症状が発生し、救護措置をとりえたものと認定することは、証拠上不可能というほかはなく、他にこの判断を左右するに足る証拠は発見できない。

なお、前述のように一定時間安静にさせておけばシヨツク症状が発生しないといいきることはできないので、木下看護婦が一定時間安静にさせておかなかつたことと栄の死亡との因果関係はこの点においても認定することはできない。

六、結論

以上検討してきたところによれば、本吉医師の安静および観祭時間についての判断、この時間中の患者に対する処置についての看護婦の指導監督、および木下看護婦が栄に対してとつた処置については、前記のとおり注意義務違反の事実が認められるが、これらの違反と栄の死亡との間には因果関係を認めえないので、原告らの請求は理由なきに帰する。よつて原告らの請求を棄却することとするが、訴訟費用の負担については、被告が防禦に急なあまり、前述の看護婦のとつた処置などについて原告の主張を否認したことによつて生じた費用があるのでこれを勘案し、民事訴訟法第九〇条および第八九条を適用して、訴訟費用を三分しその一を被告のその余を原告らの負担とすることとして、主文のとおり判決する。

(裁判官 室伏壮一郎 篠清 浅生重機)

別紙〈省略〉

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